12/30/2005

Hagazoku

垪和族 The Haga Clan

昔昔、この山里に垪和族がすんでおったのさ。

とは言って、あまりよくわらりません。 これから垪和族の歴史を少し調べます。
竹内(たけのうち)の道場も近くにあります。 棒使い も秋祭りの名場面です。
。。。 境の秋祭り2005 - Autumn Festival in Sakai 2005

ガビ


. 三穂太郎満祐 Sanbo Taro Mitsusuke .
It seems he was a real person, member of one of the seven branches of the Mimasaka Kan clan - 美作菅家七流, descendants of Sugawara Michizane 菅原道真 (845 - 903).

菅党, 菅家 :
有元氏(武家)/ 廣戸氏(武家)/ 福光氏(武家)/ 植月氏(武家)/ 鷹取氏(武家)/皆木氏(武家)/ 豊田氏(武家)/ 江見氏(武家)/ 垪和氏(武家)/ 粟井氏(武家)/ 戸川氏(武家)/ 柳生氏(武家)

The 垪和氏 Haga shi, also written 垪賀・羽賀・方賀・芳賀.

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戦国時代に久米郡垪和郷(はがごう)

美作垪和郷戦乱記 : 竹内・杉山一族の戦国史 

垪和八郎為長  (芳賀八郎美作守)



。。。。。。。。。。。。。。。。。。前書きより

かつて 「美作で棒を振るな」 という諺を耳にすることがよくあった。 美作地方では、 棒術がそれほどさかんに行われていたことを物語っている。 この棒術が農村芸能の一つとしての 「棒使い」 (宮棒) に姿を変えて、 神社の秋祭に奉納されるところもいくつか残っている。
有名なものに、 御津郡建部町の志呂神社、 七社八幡宮、 和田神社、 それに加茂川町の加茂神社などがある。

棒使い (宮棒) は単なる芸能ではなく、 神輿みこしの渡御の時の先導警護という神事の重要な役割をも果たしている。 さらに、 その型の名称・所作の類似点から見て、 これは竹内(たけのうち)流古武道の一つの分枝であると明確に認められる。

竹内流古武道とは、 戦国時代に久米郡垪和郷(はがごう)の土豪・竹内中務太夫久盛によって創始された武術である。 小具足と称する脇差短刀術にはじまり、 柔術・捕縄術・棒術・剣術・薙刀などからなる総合武術として、 四百数十年の間、 現在にいたるまで連綿と伝承されている。 その開流は、 天文元年 (一五三二) と伝えられ、 日本柔術史において最も古い。

竹内流は、 後継者にも恵まれて全国に広く流布され、 その支派、 分流は十数流を数え、 他の諸流派にも多大な影響を与え続けたのである。

明治になっても、 数多の柔道家を輩出し、 講道館柔道と競いあった。 とりわけ、 東京警視庁の柔術世話係に任ぜられ、 当時の柔道界で実力第一位と言われた金谷仙十郎 (岡山市出身) や、 明治四十一年の明治天皇御前試合で名を揚げた室山栄三郎 (倉敷市浅原出身) が有名である。

そのほか、 岡山県警の逮捕術は竹内流の指導を受けて完成されたと言われている。

このような竹内流の開祖である竹内久盛とは、 どのような人物であったのか。 どのように生きたのか。

本書は、 彼の系譜を出発点に、 その一族、 竹内・杉山氏の戦国乱世における戦いの軌跡を、 できるだけ史実に迫って、 描き出そうとするものである。

http://www.hanmoto.com/bd/ISBN4-86069-011-7.html
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WWWの参考資料から:

垪和氏のはが、は岡山県久米郡に地名が在ります。山の中です。

ここには、の竹内氏が存在して居ます。たけうちと読まず、「たけのうち」です。もちろん、古武術の竹内流です。時代劇の捕り物でよく登場する名前です。この流派の影響を受けない流ははまず在りません。この本部道場がと本部道場を補佐する分家道場が現存しています。

この一族が確か垪和氏の流れだったと思います。もちろん京都の公家の「たけのうち家」の分流です。

 ここの垪和氏が姓の漢字を変更せず各地に存在しているようです。

下記の粟井氏の所の垪和郷内の地名「和田」は美作の守護和田義盛の館から和田の地名に成ったとのことです。

「はが氏」は   以外と複雑でした。
同名で姓を異にする関係者が同一地域に存在し血縁関係を幾重にも組んで同族に成って居るように書かれている本も有ります。

「下は菅家(有元)の流れとして書かれているものです。」

佐弘 ← は有元氏(元弘3年に南朝方として京都の六波羅攻め「猪熊戦」で壮絶な戦死をした人です。)
佐延 (芳賀太郎 《芳賀氏ヲ嗣ク》久米郡北分垪和郷ニ住居シ赤松氏に属ス法名寿光院殿)
佐保 (芳賀治郎 又祐保垪和郷和田南城主法名清光院殿)
佐房 (芳賀二郎 久米郡北分垪和郷鶴田城主法名元賀) 正平六年1351年播州美作境の杉坂で高師泰の軍に惨敗(太平記に詳しい)

★佐盛 (又ハ「助盛」芳賀八郎美作守初メ赤松氏エ属シ後山名伊豆守エ属ス初メ鶴田城主後英田郡粟井庄ニ移り淡相城主トナル)(太平記に詳しい)
貞盛  (筑後守【粟井氏祖】赤松氏ニ属シ淡相城ニ居ル始メテ『在名以テ氏トス』)

垪和氏が文献で出てくるのは
・元弘3年ですね後醍醐天皇の「船上山」へ駆けつけた菅家一党とともに美作の衆として登場します。そして、千種忠顕に伴い京都で活躍をして居ます。

もっともっと書いてあります:
http://hikoshima.com/bbs/heike/100236.html

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・三穂太郎満佐の系譜である菅家に佐延氏が婿入りして垪和氏が発生。
・北朝側についていた経緯から菅家一族とは認められていない。
・家紋は梅鉢ではなく桐紋。
・竹内流は垪和氏の流れ。


垪和氏は羽賀、芳賀などの表記もあり。
菅原佐弘の末子、佐延が美作国久米郡垪和庄に住して称する。
粟井、竹内などは同族である。

後裔の室町幕府奉公衆垪和筑前守は「見聞諸家紋」によれば丸に抱き花杏葉の家紋。
垪和氏は羽賀、芳賀と通じることから、菅原姓以外に清原姓、藤原姓など異流の存在も考えられる。
美作菅家党の分流姓氏全体については、「日本の苗字七千傑」姓氏類別大観 http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/fclan_index.htm 菅原氏美作菅家党を参照下さい。

http://hikoshima.com/bbs/heike_slink/100766_2.html

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垪和氏続(?~?)  はが うじつぐ) [from:覇王伝、天翔記]

さて氏続である。彼は小田原北条氏の重臣である。どのくらい重臣かというと、氏続は1128貫675文を知行として宛がわれていたのだが、これは清水康英(829貫700文)大道寺政繁(1212貫357文)遠山綱景(963貫300文)北条氏尭(1168貫757文)等の他の一族・重臣と比べても遜色ないほどなのである。

垪和氏続

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美作菅家党 : 元弘三年(1333)、有元佐弘

佐弘の子佐延は久米郡垪和村に住んで芳賀(はが)氏を名乗り
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/mima_kan.html

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大垪和、道の駅の資料

竹内の道場 - Take no Uchi Dojo

和田神社 ・垪和郷三之宮 Wada Jinja - Wada Shrine and San no Miya

和田北 - Wadakita


垪和(はが)の人たちだけは、今でもアマノジャクのことをあまり悪うは言わん。それは、アマノジャクの怒りや哀しみを知っているからじゃろう。 

ここ天邪鬼(天の邪鬼)の話を読んでください:

大垪和の天の邪鬼伝説 
Amanojaku Legend of Ohaga


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友達から大垪和の俳句をいただきました。ありがとう!

胸が何だかきゅっとなるような気がします。
大垪和、この字も何か不思議な字です。

変な俳句、、

頭の中をおおはがの風が通り抜け


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3 comments:

Unknown said...

だんだん判ってきました。
竹内棒術。
芳賀、羽賀と来ると馴染み深くなります。
ただおおはがのあの漢字が、気になります。
有難うございました。

sakuo

Gabi Greve said...

はじめまして。
ブログ拝見しました。

何故ココに辿り着いたかと言いますと・・・。私の苗字が「垪和」だからです^^ちなみに出身は京都ですが、その昔は「垪和村」に居たそうです。
もう10年ほど前になりますが、私の両親が「大垪和」の役場を訪ねたことがありました。
そして名刺を差し出すと、「この名前の方がいらっしゃるとは!」と驚かれたそうです。
ちなみにウチの墓は京都府の亀岡にあるのですが、そこには「垪和 氏続」の墓もあります。
また伺います。では!

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垪和さま、
不思議なご縁ですね。
ぜひ 極楽庵に遊びに来てね。
東京から岡山空港まで。。。すぐですよl

ガビ

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Anonymous said...

はじめまして。
自分の苗字,「羽賀」について調べたところたどり着きました。

なるほど漢字は違っても同じ読みですね。
曾祖父の代に新潟より北海道にきたとのことで,直接の関係があるかはわかりませんが,興味深い話ですね。。。

大垪和,行ってみたくなりました。